【開催報告】NPOカフェまんまる「わたしたちの考える平和」開催しました!

 今年5月のG7サミットでは、唯一の戦争被爆国として広島から平和を発信しました。しかし、その一方で、ウクライナ戦争など危機的なニュースが日々流れています。こうした状況の中、年齢や立場を超えて市民が集い、それぞれが持つ「平和」への思いを共有しながら、長野から何ができるのかを考える交流会を、8月8日もんぜんぷら座で開催し、NPO関係者や学校関係、学生など19人が集まりました。

登壇者: 土田昇さん(被爆体験を聴く会実行委員会)、若林準也さん(長野空襲を語る会)、山﨑慶雅さん(西光寺住職)

原爆の日や終戦記念日のある8月に、あらためて「平和」に意識を向けてみたいと企画した交流会。

今回、交流会の目的の一つに掲げたのが「世代間の交流」です。というのも、市内で平和活動を行う多くの団体で、「次世代へどうやって活動を継承していくか」が課題とな っているからです。立場や年齢を超えて交流することで、持続的な活動の足がかりにしたいと考えました。
そのためには、若い人の参加が必要!ということで、企画段階から学生に参画してもらい、当日の運営にも関わってもらいました。チラシを作ってくれたのは長野美術専門学校の学生さんです。

前半は、平和活動を行う団体からの活動紹介。

>>原爆の残酷さを伝えていかねばならない。(被爆体験を聴く会実行委員会)

「被爆体験を聴く会実行委員会」の土田昇さんは自身が被爆体験証言者の語りを聴いたことをきっかけに、「原爆の悲惨さや怖さを後世に伝えていかなければならない」と強く思ったそうです。それが、今の活動を続ける原動力になっていると話しました。

>>長野に空襲があったことを知らない人が多い現実の中で(長野空襲を語り継ぐ会)

続いて、「長野空襲を語り継ぐ会」の若林準也さんが第二次世界大戦終盤に長野に空襲があった事実やそれを語り継ぐ重要性を話しました。

今年23歳になる若林さんと同会との出会いは彼が中学生の時。同会の講演イベントに若い人の姿がなかったことや、長野空襲の事実を知らない人が多いことに危機感を覚えたことが、活動に参加するきっかけとなりました。現在は同会のホームページ管理などを主体的に行っています。「長野に住んでいるすべての人が長野空襲の存在を知っているべき」と、空襲を教える機会のない今の教育現場などに警鐘を鳴らしました。

>>戦争を止めることができなかったお寺の過去(西光寺)

西光寺の山﨑慶雅住職からは、お寺が戦争を止めることができなかった事実などが語られ、戦時中の腕章など貴重な物品も見せてもらいました。多くの人が何の疑いもなく一方方向を向いて突き進んでしまうこと怖さ…。ゆっくり穏やかながらも真剣な語り口は、参加者一人ひとりの胸を打つものがあったようです。

後半は、登壇者も交え、参加者同士でディスカッション。

テーマは、「わたしたちの考えるとは?」と「長野から何ができる?」です。

参加者は、NPO関係者、地域活動・市民活動団体、学校関係者、学生など、立場や年齢もさまざま。普段は関わることのない人たちが出逢い、対話することができるのが交流会の醍醐味です。

「自分の意思を大切にして発信していく」「相手を思う」「物事の裏を想像する」「投票に行く」「長野の負の遺産を語り合う」「こうした会に参加することで横のつながりをつくる」など、さまざまな意見が出ました。

最後に交流会を通じての気づきや感想をそれぞれに書いてもらい、平和の木に貼ってもらいました!平和の木を作ってくれたのは、インターンで参加していた清泉女学院大学の佐藤伽南さん。平和の象徴である鳩とオリーブの木をモチーフにした素敵な木が出来上がりました。

 そして、交流会を企画から盛り上げてくれたのが学生ボランティアです。長野県立大学生の大倉健輔さんは、「無関心でいることの怖さ」と「当たり前なことを1度疑うこと」の重要性についてシェアしました。「だからこそ、様々な情報を意識的に知ることを心掛けたい。当たり前なことを1度疑うことは、言葉で簡単に言えても実際に行動に移すのは少し難しいが、それによって今までの価値観や考え方が変わるかもしれないので、小さいことから実践したい」と感想を寄せてくれました。